2011年3月アーカイブ
むかしノエビア化粧品のCMで流れていた曲だと思うがカップヌードルのCMで流れてきて、インド人のようなほりの深い顔立ちのミュージシャンが歌い踊っている。なんか日本語で「ワシか~うもん、か~うもん、カップヌ~ドル」って聞こえる。すごい元気の出るいい曲である。ググッて調べるとQueenというロックバンドの曲らしいことがわかった。そっち方面のことはぜんぜん知らないので誰が歌っているのか知らなかった。ただノエビア化粧品のCMで流れている時、いい曲だなと思っていた。You Tubeにあった。
http://www.youtube.com/watch?v=Jn-C6lteSz4
半径何キロ以内の地域に退避勧告とかいうニュースが流れていたが、放射能をもった物質が空中を浮遊するという点でいえば、どう考えても「風向き」の方がはるかに重要なことのように思えるのだがどうなのだろう。あと周辺の住民でも小さな子供と妊婦に一番影響が出るはずなので、一律非難ではなくて対象とする人を絞って避難させないととても効率の悪いことのようにも思える。もちろん対象を一律に設定しないとやりずらいのはわかるけど。そのために日ごろの事故を想定した詳細なシュミレーションや訓練が大事なんだとあらためて思う。
一刻もはやく収束に向かって欲しいと心から願う。それにしても東電の説明のグダグダぶりは一体なんなのだろう。又聞きの又聞きの又聞きだからだろうか?現場は下請け孫請けの業者でそれを伝言ゲームのように伝えているだけなのか?と疑ってしまう。あれで記者会見する必要があるのだろうか。テレビを見ていて唖然茫然であった。とは言えオレも会社員のころは装置トラブルで客先の工場に缶詰にされた経験が何度もある。悪いことが次から次に起こり、信じられないような(通常は低い確率であるような)悪いことが必ず起きる。そうそして大抵は客先担当者の見ている時に限ってだ。心臓が止まりそうになる思いも何度もした。その場から消え去りたいと思った。だがこうやってなんとか乗り越えてきた。オレの経験してきた内容なんかゴミみたいなものだけど、現場で今一生懸命やっている人たちを影ながら応援したいと思う。
日本人に向かないようなことを書いたが、これは従来の携帯電話の延長線上のものとしてとらえた場合である。そうではなくてAndroidというものを煮て喰うなり焼いて喰うなり完全自由なプラットフォームとしてとらえた場合、そこに様々な可能性が眠っているともいえる。不便・不親切・不完全を許容してまでも自由を欲しいと願う人にとっては面白い技術だと思う。人間は保守的な面と新しもの好きな面の両方があるので、いろいろな可能性を探ってみるのはいいことなのかもしれない。
中核部分はlinuxとのこと。じゃあlinuxのように様々な自由度があるのかと言えばいろんな皮(?)がかぶさっているらしく、なんか中途半端な感じがぬぐいきれない。というか、一般人が今までの携帯電話の延長線上として使うものにはたしてlinuxというかオープンソースのものが中核部分でいいのか疑問である。Linux系OSの特徴は完全な自由というのがコンセプト?であって、自由に慣れていない日本人には合わないのではないかのぅ。だいたい一例としてクルマの世界だって車検制度とかあって、ボンネットすら開けたことのないような人間がクルマを持てるように「甘やかされている」日本人、超一流のサービスを当然のように求める日本人にとってlinuxの思想は無理なような気がする。linux的な思想でいえば、自分が知らなくて操作に失敗したらどんな不利益でも甘んじて受け入れることのできる人間でなければ使うな、ということに尽きる。徹底的に不親切。これが自由ということである。それをいろいろな「皮」を被せて一般人向けにとりつくろおうとするから、なんだか中途半端な使いにくいものになるのではないかという危惧がある。日本人の一般的な性格からいえば、すべてのコンテンツを囲い込む戦略のAppleのiphoneを高い金額を支払って使う方がいいような気もするがはたしてどうだろう?