明日から6月です。ありがとうございます。
2009年5月アーカイブ
継続は力なり。ありがとうございます。
チョット前に舌をかんで口内炎ができていたところを、今日食事中に前回を上回る力でかんでしまい(ガリっと音がした)、七転八倒の痛みでした。ベロは神経が集中してるからイテーのなんのって。
継続は力なり。ありがとうございます。
それにしてもいつかも書いたが(酔っ払いみたく同じことをいつまでもうだうだ言うが)、多くのパソコンメーカーはなぜOSを再インストールするためのリカバリ用DVDを添付しないのか?HDDの見えない領域にリカバリ分のエリアを設けて、そこからリカバリする仕組みにしてあるのだが、HDDがお亡くなりになったらどーしよーもないじゃあないか?取説を見ればリカバリ用DVDを作る方法は一応書いてはあるのだが、初心者が自分でリカバリ用DVDを作らないことくらい100%わかりきっているのに、メーカはコスト削減?のためやらないんだよなぁ。思うにHDDが壊れるのは圧倒的にデスクトップパソコンが多いように思う。デスクトップパソコンならHDDはカンタンに交換できるし、HDD自体も電気量販店で1万くらいで売ってるしなぁ。リカバリDVDさえあれば、という場面はとても多いと思うんだが。で、いろいろググッて調べていると、恐ろしいことに、自分でリカバリDVDを作る時に失敗する例があるんだそーで、さらに悪いことに同時にリカバリ領域も壊れるんだって。こんなんならなおさらリカバリ用DVDを付けるのはあたりまえだろう。メーカはパソコンサポートをする人の立場にもなってもらいたい。
継続は力なり。ありがとうございます。
の出だしで有名な「加藤隼戦闘隊」。もっとも好きな軍歌の1つ。今日は陸軍飛行第64戦隊の加藤建夫少将の命日ということで、ググッてみたらYouTubeにいい動画が投稿されていました。
http://www.youtube.com/watch?v=MS12isLjS5w
使われている映像は昭和19年(戦時中)に作られた同名の東宝映画だそうです。陸軍の全面協力で作られたそうだから本物の一式戦闘機(隼)がたくさん出てきて、もう言うことないっす。この映画で歌も有名になったとか。日本人ならお風呂で歌うのが当然の歌だと思うなぁ。
「♪必ず勝つの信念と~、死なば共にと団結の~、心で握る~操縦悍~」のところがいいよね。
いろいろありすぎ!それでいてその多くが似て非なるものだからすごい気を使う。いままでWeb上のプログラミング言語としてPerlを使ってきたけれども、Perlを使う前はCに慣れ親しんでいたため、いろいろ戸惑った記憶がある。と、こんどPHPを使う機会があってこれもPerlに似て非なるもので、ホントプログラミング言語って百花繚乱なんだよね。それぞれの環境や条件に適したプログラミング言語がそれぞれの立場で成長?してきたから仕方がないんだけど。んでPHPでファイル読み書きするのにどーしてもうまくいかなくて、いろいろ試してみたんだが、
$fp = fopen("ファイル名","モード" );
ってファイルポインタに「$fp」っていう文字を使っているのがいけなかったみたい。「$fh」に変えたらうまく読み書きできた。ええっ、$fpという変数名は使えないの。おかしいなぁ。超短いプログラムだから全体を見ても他で$fpなんて変数名使ってないし、どっかでマクロが展開されてその中で$fpが使われているのかしら?それともライブラリの中でグローバル変数として使われているのかしら?よーわからん。PHPもCと同じようにそれぞれの関数内では変数はローカルな扱いだと思うがなぁ。どっかでグローバル宣言がされているのか。こんな一般的な変数名をグローバル変数にするかぁ?それともオレのなんかの勘違いかなぁ。なんかもう少し実験してみよう。
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その後実験してるうちに、$fpのままでも何ら問題なく動くことが判明。最初のソースに何らかの見えないゴミが紛れこんでいたと思われる。
なんか民主的でないのね。あと選ばれた鳩山さんが、しきりに「友愛」とか言ってたけど、政治家が言う言葉じゃない。巧言令色鮮し仁というけれど「巧言令色」そのものじゃないか。今回の民主党の党首選びといい、鳩山さんの言動といい、まったくもって
なんだかなぁ。
次の選挙は生まれてはじめて自民党に入れたい気分。
子供からの臓器摘出を親の承諾でOKとするとかいう案が出ているらしいが、大いに疑問に思う。昨今の子供を虐待する親の出現を見ていてわかるように、わが子を部品どり用にする「悪魔の親」が出てくる怖れがあるからだ。そもそも脳死とは臓器移植のために「作られた死」なのでどうも納得がいかないのだが、それでも自己の強い意思で臓器を提供するという人の意向は大事にされてよいと思う。がしかし、小さな子供の場合、親は神に等しい存在だからたとえば生前の子供の意思とかまるであてにならない(子供は親の顔色を見ているからだ)。親の庇護下にある子供に自分の本当の意思を表明することは無理である。さらに脳死にかんする疑問点として、脳死は本当に「人の死」なのかという点である。本当に不可逆なのか?、臨界点というものが本当にあるのか?あったとしても技術の進歩で死の側に常に動いていないのか?それによる脳死判定基準は日々改訂されるのか?移植待ちの患者がいる場合、ろくに治療もされずとっとと脳死にされないのか?疑問は尽きない。
でも自分の身内が移植を待つ身になったら上記の考えを保ち続けることができるかどうか自信がないという、しょーもない自分。
あーわけわからん。
いかんなぁ。昨日も一日ありがとう。今日も一日ありがとう。継続は力なり。
継続は力なり。ありがとうございます。
継続は力なり。ありがとうございます。
継続は力なり。憲法記念日です。GW真っ只中です。ありがとうございます。