心の問題の最近のブログ記事

朝まで生テレビの録画をみた

日本経済に元気がないとか閉塞感に包まれているとか、このような現状をいかに打破していくかの論議がなされていたのだが...。うーーん、思うに今の日本の閉塞感というのは突き詰めて考えるに、日本人の性格があまりにも「まじめすぎるから」が大きな原因ではないかと思う(自分も含めて)。で、で、実はまじめなことは本来「とてもいいこと」なのであって、ここまで日本が経済成長できたのはこのまじめな性格に起因することは間違いないのだが、それが行き過ぎたというのがワタシの考えである。

まじめ→心配性→あれこれ将来のことを考えすぎる→いてもたってもいられない→頭の中がループする→実はいろいろな面白いことがあるのにチャレンジする気力が沸かない→とりあえず現状維持に走る→何も前に進まない。

なんか、日本の経済問題って「心」の問題のよーな気がしてきた。

ただひたすら「今」を生きるのみである

今日は外は寒くて雨模様である。外気が暗いと心まで陰鬱になってしまう。マイナスの感情はさらにマイナスの感情を産み、心が負のスパイラルに突入にてしまう。このような状況に陥ってしまうのは将来起こるであろう悪いことばかりに心が捕らわれて「今」を生きていないからである。だからと言ってマイナスに物事を捉えることは悪いことばかりではないことも事実である。

「ただひたすら今を生きる」と念じて、一瞬一瞬を生きる覚悟を決める。「そこに山があるから登る」と同じで、「生まれてきたから生きる」でよいと思う。いちいち生きる意味など考えていると頭がおかしくなるのでなるべく考えない方がよい。だいたいこの悪い頭で考えても答えは出ない。

時の流れに身をまかせ

という今は亡きテレサ・テンの歌があったけど、やはり人生というものは時代の流れに抗うことなく身をまかせて生きるのが最上なのかもしれん。ともするとそういう生き方は「消極的」ということで否定的にとらえる向きもあるかと思うが、もちろん時には積極的に動くことも大事だが、大きな流れに抗わず自然に身を任せて生きることは理想だと思う。が、現実には病気になれば苦しいし、貧乏は辛いし、年寄りになれば心細いし、あーでもないこーでもないと一生迷いながら生きているのが人生ってもんでしょーか?(あー、またアタマの中が堂々巡りでワケワカラン)

時には愚痴や悪口もOKだと思う

よくまぁ講演会なんぞに行くと演壇に立つ先生方の御言葉で「他人の悪口を言うな」とか「愚痴を言うな」とか、そんなことよく聞きますけど、時には愚痴ったり悪口言ったりすることは、人間にとって必要なことだと思うですよ。もちろんそればっか言ってたらだめですけど。人間は神様じゃあないんだから。

人は何のために生きるのか?

といろいろ考えたが、やはり「生まれてきたから」が正解ではなかろーか。登山家が「そこに山があるから山に登る」というのと一緒で特に理由などない。いつかも同じこと書いた気がする。歳をとると健忘症になるので同じことをクドクド書くようになるのかもしらん。ヨッパライが同じこと何度も言うのは一時的な健忘症になるからだろう。

昨日NHK教育テレビで

「正法眼蔵随問記にきく」の第5回目(再放送?)をやっていました。たまたま第1回目を見てこれはと思いテキストを書店で買ってきたのですが、それ以後テレビ放送の方を見逃していました。なんつーこっちゃ、情けなや。昨日の放送では、すべてのことに報いを求めない、という内容でした。自分のしたことに対して一切の報酬を求めないという、なんというかこの手の話はアタマではわかっちゃいるが実践は難しいのよ無理なのよ、で終わってしまう感があるのですが、やはり角田先生の話はわかりやすいです。例えばこれは、「~のため」に生きてはならない、という意味である、と。例えば仕事するということは一般的には給料を得て食べてゆくため、なのですが、仕事にしろ何にしろ一生の間の貴重な時間を割いているわけですから、その貴重な時間を「~のため」に使うことは良くない。仕事をする時は仕事それ自体に一生懸命打ち込んでやればいい。うーん、なるほど。それは食べることだって遊ぶことだって同じような気がする。特にクルマの運転なんかそう思う。例えばクルマを運転するということは一般的には「~へ行くため、~を運ぶため」、ですけど、それを目的にすると運転自体がおろそかになるような気がするです。運転する時はそれ自体を目的にして運転だけに集中する。心ここにあらずの状態にしてはいけないということだと思います。なんかうまく説明できないですけど、このへんは納得できるです。

今日も一日ありがとう

継続は力です。資本主義経済がだんだんと行き詰まってゆくように見える昨今、では次代を担う思想は何だろうかなどと思うわけですが、よくわからんです。結局人間は欲望のカタマリだからなぁ。でも欲望を完全に否定するという思想はよくないようにも思える。難しいこと考えずにマッタリいきたいです。

Yahooニュースだかで見たが

日本人は自分が無宗教であると思っている人が多いとのこと。でもこれって思うに大方の日本人は宗教って言うといわゆる一神教のことを想像してしまうからでねーの?大方の日本人にはそれなりの宗教観(人知を超えたものに対する畏敬の念)とか持ってると思うんだが。いつもこの手のアンケートを見るたびに思う。

この前NHK教育テレビを見ていたら

とあるお坊様が出ていて、道元禅師の弟子である懐奘禅師という人が書いた「正法眼蔵随聞記」という書物のことを語っていました。そのお話しが面白かったのでずっと聞いてしまいました。このお坊様は駒澤大学の角田泰隆という先生で、その先生の書かれた「道元のことば」という本がNHKテキストで売っていると番組の最後で言っていたので早速購入。その中にこんなことが書いてありました。

------------------------(引用始め)--------------------------
一事を専らにする
夜話に云く、人は、世間の人も、衆事を兼ね学して何れも能くもせざらんよりは、ただ一事を能くして、人前にしてもしつべきほどに学すべきなり。況や出世の仏法は、無始より以来修習せざる法なり。故に今もうとし。我が性も拙なし。高広なる仏法の事を、多般を兼ねれば一事をも成ずべからず。一事を専らにせんすら、本性昧劣の根器、今生に窮め難し。努努学人、一事を専らにすべし。
------------------------(引用終り)--------------------------

うーーん、何を言っているのかなんとなくわかるよーな気がする。多くのことに目を奪われずに一つのことに専ら励むことが肝要なのだと。一つのことを極めれば(いやそれすらとても難しいが)、すこしずついろいろなことが見えてくるのではないでしょうか。それにしても「夜話に云く、」とはなんか楽しげですな。

がんばるという言葉について

以前否定的なニュアンスで書いた記憶があるのだが、たしか「我を張る」という意味で本来悪いことだと…。でもさだまさしの「関白失脚」という歌を聴いていると「がんばる」という言葉も捨てたものではないということがなんとなくわかってきたような気がする。「関白宣言」もいいがその反対の「関白失脚」もなかなか深みのあるいい歌だと思う。

今日も一日ありがとう

継続は力です。人に悩みや苦しみがあるのは、思いどおりにならないから。だからその「思い」自体を持たなければ悩みや苦しみから解放される、と小林正観氏の本にあったが、いつもこのこの言葉を思い起こすが、それは人間生きている限り無理としか思えん。まぁ脳みそが悩みの根本原因だろう。

今日も一日ありがとう

継続は力です。ニュースによると、とある相撲部屋に入門したての若い力士が亡くなったのは兄弟子たちによるリンチが原因だったたのこと。なんともやりきれないです。オレもイジメられた方だからなぁ。イジメってーのはエスカレートするしなぁ。イジメは洋の東西を問わないし、今も昔もおなじようにあるらしい。そして道徳教育では絶対に直らないと直感する。呉智英氏はもしイジメられたら相手を殺しても構わない(?)とまで言う。なぜなら少年法で保護されるから。イジメの問題が難しい(というか表面化しない)のは、人間としての自立を目指そうとする心の動きがあるから、なかなか周囲に言えない(特に親しい人)ということにあると思う。それに加えてオレらの頃なんか教師は「イジメくらい自分で解決できないようではしょうがない」というような言い方を公然としていたので、教師に頼るなどほとんど絶望的であった。今はそういうこともないだろうが、オトナたちがよーく観察しているということくらいしか解決法はないのかもしらん。とは言ってもオトナになってからも会社でイジメはあるしなぁ。人生は修行と思い、自分が変われば世界が変わる、でなんとか。ってやっぱり最後の最後は自分で解決するしかないんだよなぁ。

今日も一日ありがとう

継続は力です。世の中は相対的なものですから自分が変われば世界が変わるというのは当然の帰結ですが、なかなか難しいものです。常に物事をマイナスに考えるのは「単なる考え方のクセ」ですが、それは小さいころからの長い年月をかけて培われたクセなのでほとんど治すのは絶望的といえましょう。ですからそれを個性と認めましょう。人はいろんなタイプの人があっていいと思えばラクです。

今日も一日ありがとう

継続は力です。この前NHKのクローズアップ現代?だかで「キレる大人」とかいうのをやっていたけど、まぁなんだなみんなイライラしてるんだよなぁ。駅員さんが暴力ふるわれるらしいけど加害者で一番多いのは30〜50代のオジン世代らしい。まぁ一番ストレスかかってる世代か。最近よく少年犯罪とかが問題として取り上げられるけど少年犯罪がもっとも多かったのは団塊の世代が少年だった頃らしい。つまり一番暴力的なのは団塊の世代つーこんやね。(まぁあんまり物事はひとくくりで考えない方がよいかもしれんが)。「最近の若いモンは…」という大人のセリフはアホらしくなってきませんか?とはいえ年寄りは若者を説教する義務があると思うです。
(まぁいつもどおり、ナニを言いたいのかまとまらんなぁ)

2020年4月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
Powered by Movable Type 4.38

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち心の問題カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは学校・教育です。

次のカテゴリは政治です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ