最近よく聞くAndroid携帯端末だが

中核部分はlinuxとのこと。じゃあlinuxのように様々な自由度があるのかと言えばいろんな皮(?)がかぶさっているらしく、なんか中途半端な感じがぬぐいきれない。というか、一般人が今までの携帯電話の延長線上として使うものにはたしてlinuxというかオープンソースのものが中核部分でいいのか疑問である。Linux系OSの特徴は完全な自由というのがコンセプト?であって、自由に慣れていない日本人には合わないのではないかのぅ。だいたい一例としてクルマの世界だって車検制度とかあって、ボンネットすら開けたことのないような人間がクルマを持てるように「甘やかされている」日本人、超一流のサービスを当然のように求める日本人にとってlinuxの思想は無理なような気がする。linux的な思想でいえば、自分が知らなくて操作に失敗したらどんな不利益でも甘んじて受け入れることのできる人間でなければ使うな、ということに尽きる。徹底的に不親切。これが自由ということである。それをいろいろな「皮」を被せて一般人向けにとりつくろおうとするから、なんだか中途半端な使いにくいものになるのではないかという危惧がある。日本人の一般的な性格からいえば、すべてのコンテンツを囲い込む戦略のAppleのiphoneを高い金額を支払って使う方がいいような気もするがはたしてどうだろう?

2020年4月

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このページは、アローブックぱそこん教室が2011年3月 8日 13:28に書いたブログ記事です。

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