昨日のブログではAndroid端末のことを

日本人に向かないようなことを書いたが、これは従来の携帯電話の延長線上のものとしてとらえた場合である。そうではなくてAndroidというものを煮て喰うなり焼いて喰うなり完全自由なプラットフォームとしてとらえた場合、そこに様々な可能性が眠っているともいえる。不便・不親切・不完全を許容してまでも自由を欲しいと願う人にとっては面白い技術だと思う。人間は保守的な面と新しもの好きな面の両方があるので、いろいろな可能性を探ってみるのはいいことなのかもしれない。

2020年4月

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このページは、アローブックぱそこん教室が2011年3月 9日 10:06に書いたブログ記事です。

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