歳をとると考え方が保守的になるというが

保守か革新かの問題はさておいておいて、民主党が掲げるという夫婦別姓には断固反対である。家族がそれぞれ別の姓を持ったら一体感が失われるのは明白(言霊の霊力を知らないのだろうか)でどうもこの手のハナシは胡散臭い。要は個人個人を「自己責任」の名の下にバラバラにしてしまおう、という魂胆が見え隠れしている。そりゃ昔は女の人は家制度に縛り付けられる犠牲者といった観点から女性解放という意味合いがあったのかもしれんがなぁ。我々はそれぞれがそれぞれの集団に所属して安心を得ているわけだが、現状は以下のようになっておる。

宇宙→地球→国家→藩/会社/地域共同体/学校/組合/などなど→親族→家族→個人

個人個人をバラバラにしようという陰謀は、すなわち究極の形として

国家→個人

というふうな感じのものを目指しているように思える。これは国家による究極の個人統制でありとても嫌な感じがするのである。

 

これ以外にも現実的な問題として、共同体にはただ1つの共通な名前が付いていないと大変困るということである。みんながこうして使っているインターネットは、それぞれのノード(サーバ、ルーター、パソコンなどネットワークに繋がる機器)に32bitのIPアドレスなるものが付与されて(IPv6だと128bitだが)おる。このIPアドレスは、大まかに言うとネットワークアドレス部とホストアドレス部に分かれるが、このネットワークアドレスに対応するものが姓であり、ホストアドレスに対応するものが名である。インターネットで世界中のコンピュータが繋がるのは、ルーターと呼ばれる機器が経路制御をしているからである。ルーターは自分に届いたIPパケットの中に書かれている宛先IPアドレスの中のネットワークアドレス部を見て(つまり姓を見て)どのネットワーク(家族)に届けるかを判断するわけ。同一ネットワーク(同じ家族)なのに別のネットワークアドレス(別姓)をもっていたら、ルーター(郵便屋さん)が困るだろう。そんなこと素人が考えたってわかる。現実的にも不便なのですよ。

 

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このページは、アローブックぱそこん教室が2009年9月29日 14:14に書いたブログ記事です。

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