この前の日記で「悟り」=「猫になる」こと

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と言ったが、なんというか、これはその、あの、うまく言えないが、人間はほら大脳が異様に発達してしまったため、過去の経験から未来を予測してしまってあれこれ悩むわけですよ。で、仏教ではこの今という瞬間だけを最高に生きろ(これを本当の刹那主義という)、今だけしかない、という考えをしろと言っているわけです。(宗派によっても違うのかな?)だから本当の悟りとは動物に近いものになるということではないのか、と思うわけです。つまり余計なことは一切考えるな、ということですな。でもそれは人間性を捨てろと言っているに等しい。そこで慈悲という思想が出てくるのかなぁ。あ〜〜、いつものようにナニ言ってるのかワケワカランくなってきた。じゃぁバイバイ菌。

コメント(2)

=猫の内容はどうかと思います。
仏教では相対的な対象で見ては行けないと言うことを問うているようです。
ですから、猫と判断する前にわたい=ねこ以外の見方、全く違う物から見た見方、例えば時計とか、流れている水とか、空気といったぞんざいに身とおいてみて考えて見ては銅でしょうか?
またいちがったみかたができるかもしtれまうぇんよ。

wahiwahiさん、コメントありがとうございます。

wahiwahiさんが言われる、
>仏教では相対的な対象で見ては行けないと
ということの意味がよくわからないので、もしよろしければ少し解説をお願いいたしたいです。

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このページは、アローブックぱそこん教室が2007年1月11日 16:27に書いたブログ記事です。

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