またまた昨日の続きであるが

最良のフルートは誰に分配されるべきか?の問いに対して、アリストテレスはフルートを最も上手に演奏できるものに分配するべきという考えなのだという。このたとえはわかりやすい。それはフルートの本質が演奏されることだからそれが正義にかなっているという解釈らしい。でもこれをフルートではなくて「お金」だとしたらどう考えればいいのだろう?もっともお金を稼ぎだす人により多く与えるべきなのか、それとも貯めることに長けている人に多く与えるべきなのか、それとももっとも必要としている人に多く与えるべきなのか?お金の本質とは稼ぎ出すことなのか、使うことなのか、貯めることなのか?なんかそれぞれの局面によって変わってくるような気がしないでもない。

2020年4月

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このページは、アローブックぱそこん教室が2011年1月 4日 14:58に書いたブログ記事です。

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