心の問題の最近のブログ記事

人は何のために生きるのか?

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といろいろ考えたが、やはり「生まれてきたから」が正解ではなかろーか。登山家が「そこに山があるから山に登る」というのと一緒で特に理由などない。いつかも同じこと書いた気がする。歳をとると健忘症になるので同じことをクドクド書くようになるのかもしらん。ヨッパライが同じこと何度も言うのは一時的な健忘症になるからだろう。

昨日NHK教育テレビで

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「正法眼蔵随問記にきく」の第5回目(再放送?)をやっていました。たまたま第1回目を見てこれはと思いテキストを書店で買ってきたのですが、それ以後テレビ放送の方を見逃していました。なんつーこっちゃ、情けなや。昨日の放送では、すべてのことに報いを求めない、という内容でした。自分のしたことに対して一切の報酬を求めないという、なんというかこの手の話はアタマではわかっちゃいるが実践は難しいのよ無理なのよ、で終わってしまう感があるのですが、やはり角田先生の話はわかりやすいです。例えばこれは、「~のため」に生きてはならない、という意味である、と。例えば仕事するということは一般的には給料を得て食べてゆくため、なのですが、仕事にしろ何にしろ一生の間の貴重な時間を割いているわけですから、その貴重な時間を「~のため」に使うことは良くない。仕事をする時は仕事それ自体に一生懸命打ち込んでやればいい。うーん、なるほど。それは食べることだって遊ぶことだって同じような気がする。特にクルマの運転なんかそう思う。例えばクルマを運転するということは一般的には「~へ行くため、~を運ぶため」、ですけど、それを目的にすると運転自体がおろそかになるような気がするです。運転する時はそれ自体を目的にして運転だけに集中する。心ここにあらずの状態にしてはいけないということだと思います。なんかうまく説明できないですけど、このへんは納得できるです。

今日も一日ありがとう

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継続は力です。資本主義経済がだんだんと行き詰まってゆくように見える昨今、では次代を担う思想は何だろうかなどと思うわけですが、よくわからんです。結局人間は欲望のカタマリだからなぁ。でも欲望を完全に否定するという思想はよくないようにも思える。難しいこと考えずにマッタリいきたいです。

Yahooニュースだかで見たが

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日本人は自分が無宗教であると思っている人が多いとのこと。でもこれって思うに大方の日本人は宗教って言うといわゆる一神教のことを想像してしまうからでねーの?大方の日本人にはそれなりの宗教観(人知を超えたものに対する畏敬の念)とか持ってると思うんだが。いつもこの手のアンケートを見るたびに思う。

この前NHK教育テレビを見ていたら

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とあるお坊様が出ていて、道元禅師の弟子である懐奘禅師という人が書いた「正法眼蔵随聞記」という書物のことを語っていました。そのお話しが面白かったのでずっと聞いてしまいました。このお坊様は駒澤大学の角田泰隆という先生で、その先生の書かれた「道元のことば」という本がNHKテキストで売っていると番組の最後で言っていたので早速購入。その中にこんなことが書いてありました。

------------------------(引用始め)--------------------------
一事を専らにする
夜話に云く、人は、世間の人も、衆事を兼ね学して何れも能くもせざらんよりは、ただ一事を能くして、人前にしてもしつべきほどに学すべきなり。況や出世の仏法は、無始より以来修習せざる法なり。故に今もうとし。我が性も拙なし。高広なる仏法の事を、多般を兼ねれば一事をも成ずべからず。一事を専らにせんすら、本性昧劣の根器、今生に窮め難し。努努学人、一事を専らにすべし。
------------------------(引用終り)--------------------------

うーーん、何を言っているのかなんとなくわかるよーな気がする。多くのことに目を奪われずに一つのことに専ら励むことが肝要なのだと。一つのことを極めれば(いやそれすらとても難しいが)、すこしずついろいろなことが見えてくるのではないでしょうか。それにしても「夜話に云く、」とはなんか楽しげですな。

がんばるという言葉について

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以前否定的なニュアンスで書いた記憶があるのだが、たしか「我を張る」という意味で本来悪いことだと…。でもさだまさしの「関白失脚」という歌を聴いていると「がんばる」という言葉も捨てたものではないということがなんとなくわかってきたような気がする。「関白宣言」もいいがその反対の「関白失脚」もなかなか深みのあるいい歌だと思う。

今日も一日ありがとう

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継続は力です。人に悩みや苦しみがあるのは、思いどおりにならないから。だからその「思い」自体を持たなければ悩みや苦しみから解放される、と小林正観氏の本にあったが、いつもこのこの言葉を思い起こすが、それは人間生きている限り無理としか思えん。まぁ脳みそが悩みの根本原因だろう。

今日も一日ありがとう

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継続は力です。ニュースによると、とある相撲部屋に入門したての若い力士が亡くなったのは兄弟子たちによるリンチが原因だったたのこと。なんともやりきれないです。オレもイジメられた方だからなぁ。イジメってーのはエスカレートするしなぁ。イジメは洋の東西を問わないし、今も昔もおなじようにあるらしい。そして道徳教育では絶対に直らないと直感する。呉智英氏はもしイジメられたら相手を殺しても構わない(?)とまで言う。なぜなら少年法で保護されるから。イジメの問題が難しい(というか表面化しない)のは、人間としての自立を目指そうとする心の動きがあるから、なかなか周囲に言えない(特に親しい人)ということにあると思う。それに加えてオレらの頃なんか教師は「イジメくらい自分で解決できないようではしょうがない」というような言い方を公然としていたので、教師に頼るなどほとんど絶望的であった。今はそういうこともないだろうが、オトナたちがよーく観察しているということくらいしか解決法はないのかもしらん。とは言ってもオトナになってからも会社でイジメはあるしなぁ。人生は修行と思い、自分が変われば世界が変わる、でなんとか。ってやっぱり最後の最後は自分で解決するしかないんだよなぁ。

今日も一日ありがとう

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継続は力です。世の中は相対的なものですから自分が変われば世界が変わるというのは当然の帰結ですが、なかなか難しいものです。常に物事をマイナスに考えるのは「単なる考え方のクセ」ですが、それは小さいころからの長い年月をかけて培われたクセなのでほとんど治すのは絶望的といえましょう。ですからそれを個性と認めましょう。人はいろんなタイプの人があっていいと思えばラクです。

今日も一日ありがとう

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継続は力です。この前NHKのクローズアップ現代?だかで「キレる大人」とかいうのをやっていたけど、まぁなんだなみんなイライラしてるんだよなぁ。駅員さんが暴力ふるわれるらしいけど加害者で一番多いのは30〜50代のオジン世代らしい。まぁ一番ストレスかかってる世代か。最近よく少年犯罪とかが問題として取り上げられるけど少年犯罪がもっとも多かったのは団塊の世代が少年だった頃らしい。つまり一番暴力的なのは団塊の世代つーこんやね。(まぁあんまり物事はひとくくりで考えない方がよいかもしれんが)。「最近の若いモンは…」という大人のセリフはアホらしくなってきませんか?とはいえ年寄りは若者を説教する義務があると思うです。
(まぁいつもどおり、ナニを言いたいのかまとまらんなぁ)

2008年11月

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